


卑弥呼様による政は…戦わずして平和を勝ち取る…。
国内の統治をより強化するため、三国時代であった
「中国」に着眼し、強力な後ろ盾を得るべく、
「魏皇帝」に使者を送ります。
239年12月、卑弥呼様は、魏皇帝より
「親魏倭王」の称号を得、
その印として金印を授かりました。
魏の歴史書には、
”卑弥呼様が亡き後、男の王が立ったが、
民は従わず、国内では再び争いが起こり、
千人以上が命を落とした。”とあります。

▲NHK「歴史ヒストリア」では
再現されたCG映像が放映されていました。

▲参照:「弥生ミュージアム」

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今から2000年もさかのぼる弥生時代・・・
弥生時代の人々の暮らしは、稲作が伝わり、
水田の周りに民が集まり村ができました。
村々が一つに集まった小さな国が100以上にもなり、
その国々もまた、戦や話し合いにより、
30ほどの国にまとめられ、それらの国々を従えていたのが、
邪馬台国の女王・卑弥呼様です。


卑弥呼様は、人の限界を超える大変厳しい
" 荒行 " の数々を乗り越え、
「神」のご神託を受けることのできる
「媛巫女」となられました。
卑弥呼様の予知により、国の存続に関わる
数々の危機をも乗り越え、「邪馬台国」の民は、
卑弥呼様による政にて国が繁栄することを、
切に望みました。
こうして、女王・卑弥呼様による
邪馬台国の統治がはじまります。


南の強国・狗奴国を抑え込み、反乱を企てていた
小国も一遍に静まると、国中争いが絶えなかった世に、
平和が訪れます。
…洪水…日照り… の苦しみから逃れ、豊作が訪れます。
卑弥呼様の予言による政で、邪馬台国は繁栄してゆくのです。
卑弥呼様には、一人の娘がいました。
御名は台与(とよ)。
その後、わずか13歳にして女王の座に就かれた
台与様は、卑弥呼様の血を受け継がれ、
媛巫女として、邪馬台国をお治めになられました。
そして、卑弥呼様の功績を称え、
巨大な墓を築かれたそうです。

